本当にあった親不知抜歯の怖い話⑨
【2022年3月2日】
窓際の部屋は段々と明るくなり初め、身体を揺らし続けて三千里(年代ばれる)、気付くと妻からLINEが来ている。
『何か欲しいものはあるか?』と言われて水と頼んだが、10本は流石にいらない。。。
思わず笑ってしまい、笑えるくらいまで回復した事に少しだけ驚いた。
それと、無性にチョコが食べたくなりチョコを頼んでみた。
朝から血液検査や先生の診断などをこなしていたが、咽周りの管が1本抜けた事で少しだけだが唾を飲み込む事が出来るようになった。
また、性器に入れてあった管も無事に摘出された事で、ストレスから解放され自分でトイレに行く事が出来る様になった。
※無事に尿も出てホッとした。。。
15時過ぎに妻が荷物を持って来たと連絡があったので、エレベーター近くの休憩所まで歩いて行くと多少の気怠さはあるがスタスタと歩ける。
休憩所で座って待っていると、妻が病室の受付まで歩いて行くのが見え、暫くすると帰って来たので私も合わせてそっちに向かうが、コロナ真っ只中なのですれ違う事しか出来ず、久しぶりに交わした会話と妻の顔を見た安心間からか号泣してしまった。
部屋に戻ると見慣れたかばんが置いてあり、開けると水とチョコと着替えが入っている。
着替えを棚にしまいながら最後にチョコを取り出し、パーティーパックの大きさに困惑しながらも一枚食べるとあまりの甘さにほっぺがとても痛くなった。
泣きつかれたのか、妻の顔を見て安心したのか気付くと寝ていて、配膳のお姉さんの勢いあるオープンカーテンに目を覚ますと、目の前に食事が運ばれてきた。
左から10分粥・暖かいプリン・味噌汁と流動食ではあったが、久しぶりに口から食べる食事はとても美味しく身体に染み渡るとはこの事。
食事後は母親に生存報告をして、Jリーグで応援している川崎フロンターレの試合をやっていたので、観戦しながらゆっくりと過ごす事が出来た。
そして少しの時間ではあったが、キチンと睡眠を取れた事が良かったのか、手術の麻酔やら薬の影響が無くなったのか、精神的に回復したのかは分からないが、あれだけ苦しめられた幻覚はそれから一切見なくなった。
試合を見終わると、眠くなり一応診察した時に貰った眠剤を飲んでみると驚くほどよく眠れた。
【2022年3月3日】
起床すると血液検査の為、採血された。
※注射の時は終わるまで針をジッと見つめている派です。
因みに検査結果はコチラ↓
白血球の数値が35-85が平均値の中、118と見事に異常な数値を見せている。
※因みに入院時の数値を見たら185だった。。。
また、CRP値(血液中のたんぱく質の一種らしい)も0.3以下が平均値の中、3.42とかなりの数値を叩き出していた。
担当先生に色々と丁寧に説明を受けたが、専門的過ぎてあまり理解出来なかったので下記に要約させて頂きます。
【身体の状況】
親不知を抜歯した事が直接の原因かは不明だが、トリガーになった事は間違いない。
抜歯部分から菌が入り込み、炎症を起こしたのちに膿を発生させた。
緊急手術になった経緯として、膿が心臓付近まで下りてきたいたらしく、そのままでいると心臓にまで悪影響を及ぼし、最終的に死に繋がる病気だったとの事。
※手術して発覚したが、唾液線に石が溜まり唾が出にくい事も影響があったらしい。
病名:頸部膿瘍(けいぶのうよう)
中々ないケースらしく、先生も論文を探してみたが数年前は致死率50%、現在でも40%くらいはあるとの事。
※後日、妻が自分の通っている口腔外科の先生に私の事例を話したところ、約30年の医者人生で、2回しか出会った事の無い事例だと真顔で言われたらしい。
私の中で生死を分けた分岐点は二つある。
①2月24日の時点で救急車を呼んで入院出来た事。
※我慢や放置していたら間違いなく手遅れで死にかかわっていた。
②首が平均値より長い体質だった事。
私の首は人より長いらしく、そのお陰で膿が鎖骨付近で止まる事が出来た。
しかも通常ではメスを一か所しか入れる事が出来ないところ、二か所入れる事が出来た事により膿を取り出す時間も早く、術後の管も二か所入れられたので通常より早く回復出来た。
※もし首が短ければ、心臓付近まで膿が広がり胸や肋骨を切開したりと大掛かりな手術になっていた可能性が高い。
先生の話しを聞いた後、全身に鳥肌がブワッと出たのは言うまでもなく、同時に首を長く生んでくれた母親に感謝しました。
⑩へつづく↓
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本当にあった親不知抜歯の怖い話⑧
人生で初めて【死】を意識したときには妻と母に本当に申し訳ない気持ちになった。
軽い気持ちで抜歯した親不知で死んでいく夫。
軽い気持ちで抜歯した親不知で死んでいく息子。
心の中で数えきれないほど謝った。
私が死んだら、これは医療ミスになるのかな?
そしたら裁判とか妻には迷惑かけてしまうだろうな。。。
そんな事も考えた。
しかし、朦朧とする意識の中で死と向き合い、考えれば考えるほど『このまま死んでたまるか』と言う気持ちが強くなってきていた。
妻に連絡しよう。
きっと心配しているに違いない。
そう思った私は横を向くと患者用の棚があった。
よく見ると妻が持って来てくれたであろう見覚えがある鞄や荷物が置いてある。
重力が倍になったと錯覚するほど重い身体を無理やり起こし、手で足を持ち上げながら必死になり横を向くとなんとか座る体制をになれた。
咽から繋がっている管やその管から体内の膿を出す為に取り付けられている箱みたいな物、もちろん術後から性器にはおしっこが自動的に出る様に管が差し込まれている。
私にとっては呪いの装備を身に纏いながら、最新の注意を払い何とか立つ事が出来たが、意識は朦朧とし前に足を踏み出すのも億劫だ。
棚を物色すると鍵付きの引出しを発見し、試しに開けてみると使い慣れた私の携帯電話があった。
画面は暗かったが、電源ボタンを長押しすると画面が明るくなりリンゴマークが映しだされのを見て、手術前に電源を切った自分をちょっと褒めた。
時間を見ると時刻は22時、どうりで辺りは暗い訳だ。
携帯に通知が来ているので、LINEを見ると妻から私にメッセージが来ていた。
一文字を打つのも辛かったので簡易的だが生存報告をした。
妻からも返事が来て少しは安心させる事が出来たので、ふと申請に必要だという事で棚にあったポーチから保険証を探して両面カメラで撮影して送った。
一先ずミッションを終えてほっとしていたが、また横になるのが怖くベッドの策に掴まりながらではあるが胡坐をかいた状態で暫くじっとしていると、みぞおち付近の痛みが多少マシになっていく事に気付く。
そして、無意識に胡坐をかいた状態でベリーダンスを踊るように腰をゆっくりと左右に揺れるような形で振ってみた。
このときの私は、なぜそうしたのか?思いついたのか?は今でも分からないが、今まで生きてきた中でMVPの瞬間を決めるとしたら、私は間違いなくこの瞬間身体を揺らす事をした当時の私をMVPにする。
それほどの分岐点で有り、無理にでも身体を起こして身体を揺らしていなければ、冗談抜きで死んでいたかもしれないと思う。
恐らく2時間くらいは揺れていたと思うが、この行動をきっかけに体調はみるみる好転していった。
みぞおちの痛みはどんどん引いていき、あまり気にならない程度まで落ち着く、暫く身体を起こし血が廻ったからか頭の中もスッキリとしてきた。
ココで少し看護師さんにわがままを言ってみた。
どうしても歩きたい衝動に駆られナースコールを押すと、看護師さんに『大きい方のトイレに行かせて下さい』と伝える。
困惑していたが、二人がかりで色々持ってもらったりしてトイレまで何とか歩く事が出来、しかも大きい方も多少致す事が出来て感動。
行ってみて初めて分かったが、病室の入口直ぐのドアはトイレだった事に少しビックリした。
※幻覚が見えていて、トイレのドアに付いている磨りガラスにキャラクターの顔が映し出されていて、なんの場所なのか全く分からなかったので。
ベッドに戻ってからも眠ってまた今までの地獄の状況に戻るのが怖くて、朝になるまで腰を揺らす事に集中していた。
揺れている間も子供達が何かの番組で撮影しに来ていたり、何かのキャラクターがアニメ番組見たいに流れている映像など、絶えず幻覚は見えていたが愚直に身体を揺らし続けていると段々と朝が近づき明るくなっていくのを感じた。
携帯を見ると時刻は6時。
生きていて良かったと初めて素直に感じた事をよく覚えている。
⑨へつづく↓
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本当にあった親不知抜歯の怖い話⑦
看護師さんが部屋から出て行った後は放心状態だった。
何日か振りに上半身を起こしたのもそうだが、頭の中が揺れている感じがして非常に気持ち悪かった。
※ベッドのリクライミングでは起きていたが、自力で起きるのとは段違い。。。
そして、このまま一般病棟に戻っても確実に状況は悪化すると思った。。。
現状は一人部屋でこの状況だが、一般病棟へ移動したら4人部屋でこの状況になると考えたら背筋が凍りつく。。。
すると、コンコンと部屋をノックされ白衣を着た男性が入って来た。
先生にこんにちはと言われ、体調や気分など色々質問され、私の一般病棟への移動が決まり、次々と看護師さんが入るとあっという間に連行されていく。
道中、ベッドで寝たまま集中治療室から出て一般病棟へ運ばれていく中、不安と身体の不調から茫然としていた。
何も考えられないと言うよりは、思考が停止していたのだと思う。
エレベーターのドアが開くと病室は8階だった。
周りは既に暗くなっている。
手術前は窓際の新しめの部屋の記憶があるが、部屋が変わったらしく4人部屋の入口側で少し古い部屋になっていた。
看護師さんに初期設定(コードやらケーブルやらの配置)をしてもらい、再度一人になったとき、思い出したようにみぞおちが痛み出し、苦しさに耐えきれずふと天井を見つめると、天井の模様が動き出している事に気付き溜息が出る。
また、幻覚が見え始めた。。。
線の様な模様は絶え間なく動き続けている。
身体を動かす気力が無い私は暫く天井を見つめていたが、やがて線は動くだけではなく形になっていった。
線は段々と顔になっていき最初は何に変化しているのか分からなかったが、よく見ていると漫画のワンピースのキャラクターやNARUTOのキャラクターによく似ている劇画風なタッチの顔に変化していた。
コレばっかりは画像が無いので想像して頂くしかないが、あくまで似ている風のキャラクターなので著作権には引っかからないだろう。。。笑
器用?な事に画像の照明部分は目の役割をしながらソコを起点に周りが変化していき、一つの絵を完成させている。
キャラクターは一つや二つではない、数々の作品の数々のキャラクターが次々と、完成しては消え完成しては消えと、絶え間なく天井のキャンパスに描かれていった。
最初こそは興味本位で見ていたが、あまりにも永遠に目の前で繰り広げられる異常な光景に飽き飽きし、逃避する様に目を閉じると彼女?が待っていた。
前回の話しにも登場した、リンゴの着ぐるみ?みたいなのを着た渡○○美に良く似た体系の妖精。。。が目の前で激しくおどっ。。。
再び目を開けると、線は劇画風の顔では無く違う形に変わっている。
今度はアニメーションが展開されていた。
説明が非常に難しいが、線は簡易的な人になり犬になり熊になり、昭和な感じのモノクロアニメーションが今度は展開されていた。
天井全体が雪山みたいな感じに描かれていて、人が物資を載せたソリを引きながら、その横を犬や猫や動物達が音楽隊みたいに連なって一緒に登っている。
やがて頂上の山小屋に到着し、みんなで祝杯をあげている。
一つのストーリーが終わるとまた違うストーリーが始まり、舞台は山になり海になり、色んな動物が出てきては只々動いている。
劇画風とモノクロ、目を開けている内はこの二つが交互に上映され、目を瞑ると妖精のダンスショーと、休む暇もなければ意志も関係なく繰り広げられる終わりのない光景に、私は肉体的にも精神的にも疲弊してしまった。
幻覚を見ている間もみぞおち付近の原因不明な痛みに苦しみ、唾液は術後の影響で飲み込む事が既に困難な為、簡易的な吸引機で常に吸い出している。
今まで経験した事の無い痛みと異常な目の前の光景に大袈裟でも何でもなく、人生で初めて【死】を覚悟した。
⑧へつづく
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本当にあった親不知抜歯の怖い話⑥
③幻覚が見え始めた。
一応断っておきますが、私はそういう系の薬の経験は一切無いので、最初は気のせいかと思ったが、最初にオカシイと気付いたのは食事のビタミン剤の投入が終わり、部屋に一人にされ苦しみに耐えながら目を瞑った時だった。
当たり前の事を言うが、目を瞑ったら目の前はどうなる?
真っ暗になると思う。
でも、この時の私は違った。
目の前は赤い絵の具で塗りつぶしたみたいな真っ赤な背景になり、その中心にモジモジ君(年代バレるな。。。笑)の様な全身タイツを着て、リンゴの着ぐるみ?みたいなのを着た、渡○○美に良く似た体系の人が激しく踊っていた。。。
コレを読んでいる物好きなアナタは『コイツは何を言っているのだ?』と思った事だろう。
大丈夫、当時の私も最初に見た時は頭の中が???でいっぱいになった。
思わず目を開け、一度冷静に考えてみる。
試しにもういちど目を瞑るが、全く同じ背景で全く同じ人?(当時は妖精だと思っていた)が兎に角激しく踊っていた。
なんの踊りかは不明だ。
話してくる訳でも無く、絵面が変わる訳でも無く、ただひたすら激しく踊っている。
無論、私に拒否権は無い。
この現象が、この時を境に目を瞑ると自動的に永遠に流れ続けた。
目を瞑らなければいいのでは?
気合で起きてればいいのでは?
私も最初はそう思った。。。
しかし、幻覚が見えたのは目を瞑っていた時だけでは無かった。
目を瞑っている事にとうとう耐えられなくなり目を開けると、寝ているので自動的に目線は天井を見る事になる。
パネルだったのか壁紙だったのかは定かでは無いが、画像の様な模様が付いてるタイプの天井だった。
画像の天井部分を見てもらうと分かるが天井には模様が付いている。
目を開けた私は暫く天井を見つめていたが直ぐに異変に気付いた。
天井の模様が動き始めたのだ。
※改めて言うが、私はそういう系の薬の経験は一切無い
線状の細長い模様が最初は1本動き始め、私の視線の範囲内で天井を徘徊している。
それはやがて、2本になり3本になり段々と増えていった。
最初こそ見た事のない光景に多少の面白さも感じ、それをずっと見ていた。
だが、次第にその異常な光景に気持ち悪さを感じ始めたので再度目を瞑ると、渡○○美が待ってましたとばかりに踊り狂う。
地獄のような光景見ながら、みぞおち痛を抱えて唾液を吸引機で吸い取るを繰り返す。
あまりの辛さに只々、耐えるしか出来なかった。
看護師さんからは朝の段階で、先生の診断次第だが恐らく一般病棟へ今日中には移動になると思いますと言われていた。
私自身何かすがるものが欲しかったのか分からないが、一般病棟に移ればこの辛さはからは解放されると思っていた。
今思えばそんな事は決して無いと思うのだが、一般病棟への移動をモチベーションに耐えに耐えた。
看護師さんが来る度びに『先生はいつ頃来ますか?』と尋ねていた気がする。
身体は重く、動く気力すら無くなり、みぞおちの痛みからか身体はびっしょりと汗をかき、地獄に耐えるのも限界が来ていた。
時計が15時を過ぎた頃、看護師さんが部屋に入って来た。
『一般病棟に移る前に身体を起こす練習をしなければいけないのでやりましょう!』
しかし身体に力が全く入らない、身体を起こす事も自分の意志では出来ない状況に2人いた看護師さんの一人が『この状態では一般に移すのは無理では。。。?』と言っていた事をよく覚えている。
それでも看護師さんのサポートを得て何とか身体を起こし、足を座りながらではあるが地面に付ける事に成功した。
しかし、ここまで自分の身体が動かない事は戸惑いと焦りを植え付けた。
その時に感じた事はハッキリ覚えている。
『一般病棟にこのまま移っても状況は何も変わらない。』
⑦につづく
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本当にあった親不知抜歯の怖い話⑤
私は過去に一度だけ入院経験が有る。
約3年前の夏頃、当時の私はロードバイクを乗っていて友人達と走っている最中に緩い下り坂のカーブでスリップした。
なまじ反応が良かったのか、スリップした瞬間にフロントブレーキを強く握ってしまい、前輪をブレーキでロック。
そのままの勢いで一回転(業界用語でジャックナイフと言います)
気付くと自転車が、自分の寝ている身体の上にありました。
※因みに自転車はほぼ無傷だった。。。笑
左腕が全く動かない状態と青紫色に変色しながら腫れている肘を見て、今まで骨折した事は無いが瞬時にやってしまったなと思ったのが少し懐かしい。
案の定、左肘は骨折、左肩は剥離脱臼、他にも擦過傷多数で2日間入院したが、手術明けの日の夜は痛みとベッドでの体制の悪さ、周りの人のイビキ等で一睡も出来なくて人生で一番辛かった苦い記憶があり、特に身体の体制や納まりにとても苦労した。。。
※手術後、夕方5時に起きて翌朝の9時頃迄、一切眠れなかった。。。
この気持ちは分かって頂けるかは分からないが、ベッドのマッドレス・毛布・掛け布団・角度などなど、ラジオを聴きながら微調整しながら、納まりが良い体制?場所?を模索していて、奇跡的にガッチリ納まるベストポジションがあったのだ!
いま思えば、看護師さんにお断りすればよかったが、流されるままベッドメイキングを許した瞬間から私の敗北は決定していたのだ。
※一応、断っておくが看護師さんは一切悪くない。
看護師さんが去った後、自分との静かな戦いが始まる。
まずは整えられたベッドを自分好みに崩す事を始めたが、先ほどはあらゆる要素が奇跡的にガッチリ納まっていたに過ぎない。
何をどうしても、崩しても、角度を変えても一向にポジションは決まらない。
そして体制の悪さからか、みぞおちが徐々に身体を蝕むように痛み始めてきた。。。
身体をいくら動かしても、毛布や枕の位置を微妙に変えても、状況は一向に良くならず、あまりの痛みにナースコールを押して看護師さんに手伝ってもらったが何も変わらないまま。。。
前回の入院の苦い思い出が頭の中によぎる。。。
【2022年3月1日】
幸か不幸か時間が立つのは意外と早かった。
朧げな記憶だが、部屋には窓がなく時間の経過が分かりにくかったが、時計を見ると時刻は既に6時を回っている。
恐らくだが、ベストポジションを試行錯誤している際に、少しポジションを変えては寝る努力少し変えては寝る努力を繰り返していたが、自分では分から無いうちに多少なりとも寝れていたのだと思う。
やがて電気も付き、完全な起床時間になったが睡眠が足りていないのか、頭はぼーっとするし、みぞおちの痛みは増しているし、術後の影響か管の影響か唾が飲み込みにくい。
やがて、看護師さんが食事を持って来た。
※食事と言っても食べられないので、点滴みたいな容器に入れられたビタミン剤をいつの間にか装備されていた鼻の管(画像参照)から注入。
管は鼻から胃の入口?まで続いており、ビタミン剤が入るとひんやり冷たくなんとも言えない気持ちが1時間程続く。
当然ながら味は一切無い。
胃にダイレクト注入なので満腹感は不思議とあったが、ビタミン剤の注入が終わる頃、身体の様子が段々とオカシクなっていった。
①まず、みぞおちの痛みが冷や汗をかくくらい痛くなっていた。
※ずっと鋭利な物でグリグリされている感じ。。。
②咽の付近が圧迫されていて、唾を飲み込む事が出来なくなって来ていた。
※唾を飲み込もうとしても、咽奥まで入っていかずむせて吐き出してしまうので、看護師さんに伝えたら、唾を吸い取る装置(簡易的な吸引機)を作ってもらい、常に唾を吸引する生活が始まった。
※因みに1リットル容量の箱が軽く満タンになるほど吐き出していた。。。
そして、③の症状は今まで経験した事のない壮絶な地獄の様な体験でした。
⑥につづく
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本当にあった親不知抜歯の怖い話④
【2022年2月26日???】
目が覚めると目の前は知らない天井だった。
照明?電気?の眩しさに目が眩む。
身体は重くて動かないが、辛うじて首から上は動かせた。
辺りを見回すとそこは、見覚えのない狭い個室の様な部屋でした。
隣にはカーテンで仕切られてはいるが、私と同じ様にベッドで寝ている人がいる。
『あら!起きましたね!』若い看護師さんに比較的にフランクに言われながら、目や血圧等の数値を調べられ、少し会話をした様なしなかった様な感じで、私は無気力にただ天井を見つめていた。。。
今は何時だろう?
ふと思ったが見える所に時計が無い為、時間が分からない。
今日は土曜日か。。。フロンターレ※好きなサッカーチーム。勝ったかな。
そんな事を思いながらも何故か違和感を感じる。。。
違和感の正体は看護師さん達の会話だ。
会話の内容は覚えていないが、一つだけ確実に覚えているのは、看護師さん達が交代の時間帯だったみたいで、朝礼?夕礼?を行っていた時の言葉が、
『2月28日の○○を始めます』だった。。。
ん。。。?28日。。。?
今日は26日では無いのか。。。?
※コレは後日聞いたが、手術は溜まった膿を取り除く為に喉元付近にメスを入れた事で想像を絶する痛さを伴うらしい、また呼吸を確保するのに大きめの管を口から入れていた。
苦しさと、辛さで暴れるのを防止する為、薬で2日間眠らされていたらしい。
看護師さん達の会話を盗み聞きしたり、若干会話したりしていくうちに、今の時間は2月28日の夕方頃だと分かった。
【2022年2月28日】
因みにココはICU(集中治療室)という事が新たに分かった。。。
※集中治療室とは重篤な患者さんを治療する病院内の特殊病棟でり、集中治療に特化した医療スタッフが患者さんのケアにあたります。※Google様調べ
ICUなんぞドラマでしか見た事は無いが、実際に自分が入ると何とも言えない気持ちになる。
段々と意識もハッキリしてきて、現在の状況を飲み込める様になったきたので整理すると、喉元の腫れは手術で膿を摘出してくれたお陰で引いてはいるが、管が3・4本刺さっている為、違和感と同時に多少の息苦しさもある。
恐らく手術は成功したのだろう。
暫くすると若い看護師さんが『別の部屋に移動しますね』とニコやかに言われ、人生初の個室に入れられた。
ずっと天井を見つめているのも飽きてくるので少し動いてみると、起き上がる事は出来ないが、寝返りや横向きになる事は出来る。
横向きになった時にベッドのリモコンを見つけたので、ボタン操作で体を起こしてみたり下げてみたりと楽な体制を模索していると、コンコンっとドアをノックされ、先ほどの若い看護師さんから『暇ですよね?テレビはありませんが、ラジオでも聞きます?』
と言われ、即答でお願いした。
この時のFM大阪さんにはとても感謝しております。
大阪のラジオって日常的にお笑い要素があるので、どれも面白くてかなり気が紛れました。
ラジオを聴きながら身体をもぞもぞと動かし、自分が一番納まりがいいポジションを見つけられる事が出来たのもかなり大きいと思う。
確か、akaneさんの番組で、はるな愛さんがリモートゲストでダンスのイベントの件で話してたり、その後の番組でパーソナリティーは覚えてないが、スニーカーの話しからアプリで抽選するという事を知り、病気治ったらやってみようと思ったのをよく覚えている。※結局やってないが。。。笑
退院したらやってみたい事や食べてみたいものなど聞いている間は希望が持てた。
時刻は22時を過ぎた頃だと思う。
看護師さんが『そろそろ消灯なので電気消しますね』と言ってきて、電気を消してラジオの音量も小さく絞った。
そして、帰り際に『あっ。寝る前にベッドの毛布とか整えましょうか。』
何気なくお願いしたが、私にとってはコレが地獄の始まりだった。。。
⑤へつづく↓
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本当にあった親不知抜歯の怖い話③
【2022年2月25日】
入院した事の安堵感と今後の不安が入り混じり、少し寝ては起きてを繰り返す内に気付くと窓の外は明るくなって来ていた。
朝は慌ただしく始まった。
車椅子に乗り、看護師さんに押されながら血液検査とCT検査を受けに行き、部屋に戻ったのが10時頃だったはず。
4人部屋の窓際で外の景色が良く見えて少しだけ落ち着いたのを覚えている。
お昼ご飯何かな?(検査の為、朝ご飯は食べれなかった。。。)そんな事を考えられる余裕もあったので、顎の腫れもあり辛いが精神的には楽にはなっていた。
11時になった頃、看護師さんが部屋に入って来て『先生が検査結果などのお話しがあるので行きましょう』そう言われ、耳鼻科の先生のもとへ向かった。
部屋に入り先生と軽く会話をし、現在の病状の説明を受けたが、難しい事を言われたので内容はあまり覚えてはいない。
けど、『手術致します』この言葉だけは、正直なところなんとなく察していたので、『でしょうね。。。』と深く深く思った。
そこからはとても早かった!
あれよあれよと車椅子に再度乗せられ部屋に戻る最中に妻と遭遇した。
※妻回想
入院した翌日は夫の入院道具や着替えを持って病院に行きました。
『△△の妻です』と看護師さんに伝え荷物を渡すと、夫は先生の所へ診察を受けに行っているとの事。
コロナの関係で病室で待つ事も出来ないのでその日は直ぐに帰り、病院の駐車場に置いていた車に乗り、エンジンをかけて発進しようとした時、見知らぬ番号から着信。
『はい、△△です。』
『△△さん○○病院の者ですが、旦那さんが緊急手術になりましたので直ぐにお戻り下さい。』
驚く暇もなく急いで病院に戻ると、部屋に戻る途中の夫と遭遇した。
顔色は悪く生気が無い、まるで生ける屍のような表情をしていて、話しかけるが黙って頷くだけでした。
遭遇した時の話しは後日、妻から聞いたがあまり覚えていない。
覚えている事は手術前に自分で電動髭剃りで髭を剃った事くらいだ。
※先生に衛生面の為、髭を剃るように言われていた。
そこから時間を見ていないので分からないが、比較的早く手術の準備が整い車椅子に乗せられ手術室まで運ばれた。
※全身麻酔は人生で2回目。本当にあっという間に意識が無くなるよね。。。
手術中の記憶は全くない。
当たり前なのか?分からないが夢なども見ていない。
何時間過ぎたか分からないが、目覚めた場所は見知らぬ天井だった。。。
※妻回想
夫の手術の間は待合室で待つように看護師さんに言われました。
そこはオープンな待合室で、特に親族限定でも無く誰でも入れるような場所でもあり、私の他にも手術の付き添いの家族が何組か待っていました。
手術が終わると待合室の電話が鳴り、家族が呼ばれ、一組また一組といなくなっていきますが、一人の女性(推定40代後半)だけはずっと残っている。
しかも、様子がオカシイ。。。
ずっと、何かに話しかけているのだ。
※後に判明するが、名前はタマミ(仮名)と言うらしい。
他の親族達は全て出て行ってしまったので、待合室には私とその女性しかいないし、勿論、私に話しかけている訳でも無い。
気味が悪いなと思いながらも気付くと夫の手術時間になり、不安な気持ちで過ごしていましたが、どうもタマミが気になる。。。
ずっと、誰かと何かを話している。。。
そして次の瞬間、タマミは夫がいる手術室の方に突撃して行きました!
『???えっ???どうゆうこと???』
あまりの突然の出来事に茫然としていましたが、暫くすると中がざわつき始め、看護師さんの叫び声や怒号は聞こえ、警察が何人も来て騒然としていました。。。
※名前はその時に目の前で行われていた事情聴取で判明。
何故、タマミがそこにいたのか?(免許証の住まいはこの病院からは凄く遠かった)
いったい、そこで何をしていたのか?誰に話しかけていたのか?
全ては不明のままタマミは警察に連行されていき、気付けば相当な時間が立っており、突然鳴った電話の受話器を取ると、夫の手術が無事に終わりましたと伝えられました。
不安な気持ちの中、タマミのお陰でサスペンスドラマを見ている感覚であっという間に時間が過ぎたので少しだけ感謝致しました。
④へつづく↓
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