本当にあった親不知抜歯の怖い話⑤
私は過去に一度だけ入院経験が有る。
約3年前の夏頃、当時の私はロードバイクを乗っていて友人達と走っている最中に緩い下り坂のカーブでスリップした。
なまじ反応が良かったのか、スリップした瞬間にフロントブレーキを強く握ってしまい、前輪をブレーキでロック。
そのままの勢いで一回転(業界用語でジャックナイフと言います)
気付くと自転車が、自分の寝ている身体の上にありました。
※因みに自転車はほぼ無傷だった。。。笑
左腕が全く動かない状態と青紫色に変色しながら腫れている肘を見て、今まで骨折した事は無いが瞬時にやってしまったなと思ったのが少し懐かしい。
案の定、左肘は骨折、左肩は剥離脱臼、他にも擦過傷多数で2日間入院したが、手術明けの日の夜は痛みとベッドでの体制の悪さ、周りの人のイビキ等で一睡も出来なくて人生で一番辛かった苦い記憶があり、特に身体の体制や納まりにとても苦労した。。。
※手術後、夕方5時に起きて翌朝の9時頃迄、一切眠れなかった。。。
この気持ちは分かって頂けるかは分からないが、ベッドのマッドレス・毛布・掛け布団・角度などなど、ラジオを聴きながら微調整しながら、納まりが良い体制?場所?を模索していて、奇跡的にガッチリ納まるベストポジションがあったのだ!
いま思えば、看護師さんにお断りすればよかったが、流されるままベッドメイキングを許した瞬間から私の敗北は決定していたのだ。
※一応、断っておくが看護師さんは一切悪くない。
看護師さんが去った後、自分との静かな戦いが始まる。
まずは整えられたベッドを自分好みに崩す事を始めたが、先ほどはあらゆる要素が奇跡的にガッチリ納まっていたに過ぎない。
何をどうしても、崩しても、角度を変えても一向にポジションは決まらない。
そして体制の悪さからか、みぞおちが徐々に身体を蝕むように痛み始めてきた。。。
身体をいくら動かしても、毛布や枕の位置を微妙に変えても、状況は一向に良くならず、あまりの痛みにナースコールを押して看護師さんに手伝ってもらったが何も変わらないまま。。。
前回の入院の苦い思い出が頭の中によぎる。。。
【2022年3月1日】
幸か不幸か時間が立つのは意外と早かった。
朧げな記憶だが、部屋には窓がなく時間の経過が分かりにくかったが、時計を見ると時刻は既に6時を回っている。
恐らくだが、ベストポジションを試行錯誤している際に、少しポジションを変えては寝る努力少し変えては寝る努力を繰り返していたが、自分では分から無いうちに多少なりとも寝れていたのだと思う。
やがて電気も付き、完全な起床時間になったが睡眠が足りていないのか、頭はぼーっとするし、みぞおちの痛みは増しているし、術後の影響か管の影響か唾が飲み込みにくい。
やがて、看護師さんが食事を持って来た。
※食事と言っても食べられないので、点滴みたいな容器に入れられたビタミン剤をいつの間にか装備されていた鼻の管(画像参照)から注入。
管は鼻から胃の入口?まで続いており、ビタミン剤が入るとひんやり冷たくなんとも言えない気持ちが1時間程続く。
当然ながら味は一切無い。
胃にダイレクト注入なので満腹感は不思議とあったが、ビタミン剤の注入が終わる頃、身体の様子が段々とオカシクなっていった。
①まず、みぞおちの痛みが冷や汗をかくくらい痛くなっていた。
※ずっと鋭利な物でグリグリされている感じ。。。
②咽の付近が圧迫されていて、唾を飲み込む事が出来なくなって来ていた。
※唾を飲み込もうとしても、咽奥まで入っていかずむせて吐き出してしまうので、看護師さんに伝えたら、唾を吸い取る装置(簡易的な吸引機)を作ってもらい、常に唾を吸引する生活が始まった。
※因みに1リットル容量の箱が軽く満タンになるほど吐き出していた。。。
そして、③の症状は今まで経験した事のない壮絶な地獄の様な体験でした。
⑥につづく
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