くろねこのちいさなことから『コツコツ』と(=^・・^=)

=小さな種はいづれ大きな花となる=

本当にあった親不知抜歯の怖い話②

 

【2022年2月24日】

 

相も変わらず左下顎の痛みと気怠さを抱えながら起床する。

腫れは引かず、熱も引き続き39度から下がらない。

妻は朝から救急医療相談窓口へ電話を掛けてくれているが、電話が混み合っていて全くと言っていいほど窓口に繋がらずとても苛ついている様子だ。

 

何十分と待って電話が繋がり、状況を伝えある病院の口腔外科を教えて貰ったので電話をしてみるが、発熱がある状態では診断する事が出来ないので、まずは内科に行ってほしいとの事。。。

※当時は新型コロナウイルス感染症第6波のピーク真っ只中でした。。。

再度、相談窓口に電話し何十分と待って、今度は内科へ電話を掛けるが、親不知抜歯の影響で発生した症状であれば、口腔外科で診断してもらって下さいと言われる。。。

妻もどうしていいか分からず、たらい回しをされるだけで状況は変わらない。

 

私も高熱・咽付近の腫れによる圧迫からか、息も段々としにくくなってきており、辛さに加え意識も朦朧としていた為、ただベッドで横たわる事しか出来なかった。

少しだけ眠れたのか時刻は夕方を過ぎていて、私に気づいた妻はあれからずっと電話してくれていたのか憔悴した顔でこう告げた。

 

『どこに掛けても、コロナの疑いがあるから見てくれないって。。。辛いと思うけど今日は我慢して明日の朝にPCR検査を受けに行こう。。。ごめんね。。。』

 

因みに私が寝てる間に救急車を呼ぼうと思い119に通報したらしい、しかしオペレーターから言われたのが『現在、救急車が混雑状況でして本日中にそちらへ向かえるか分かりません。』との回答だったとの事。。。

もしかしたら、私は死ぬかもしれないと人生で初めて思った。

それほどまでに肉体的に精神的に疲弊していた。

あまりの辛さに何も出来ず、只々寝る事しか出来ず、少し寝ては起きを繰り返し、私の身体と精神は限界を迎えた。

 

時刻は22時過ぎ『ごめん。。。救急車呼んで。。。』

朦朧とした意識の中、私は妻に頼んだ。

夜になって状況が変わったのか、それとも運が良かったのか、救急車はものの30分程で到着し、家で救急隊の方に血圧や体温検査、現在の状況などを説明した。

 

救急隊の方からは『このコロナの状況下で、病院はどこもひっ迫状態です。搬送出来る病院も○○市(私の家から高速道路で1時間以上かかる)の方になるかもしれませんし、万が一搬送先が決まっても入院はまず出来ないと思って下さい。』

そう、言われ受け入れ先の病院へ電話し始めた。

今思うと私の最初のターニングポイントはここだと思う。

当時の世の中の状況からは運が良かったとしか言いようがないが、最初の電話で受け入れ先の病院も決まり、しかも家から車で15分程度の同じ市内の病院に搬送される事となった。

※当時のニュースでは受け入れ先が決まらず何時間もたらい回しにされた上、救急車の中で死亡した事例もあるほどでした。

 

救急車には初めて乗車したが、何も考えられずただ俯いていた。

病院に付くと23時を過ぎていたが、待合室には10人くらいの人が居た。

直ぐに簡易的な個室に連れていかれ、抗原検査をしたが結果は陰性、血液検査の結果待ちの間に点滴も受けた事により身体の辛さは多少マシにはなる。

1時間ほどして血液検査の結果を伝えに来た先生からは『今から入院です』

非常にシンプルにそう言われた。。。

 

妻が手続き等をしている間に話しを聞いたが、血液検査では研修医(当直医)の先生では判断が難しいほどの血の気の引くような異常な数値を叩き出し、コロナで病床が少ないと言えど、流石に家に帰せる状態では無いと判断されたらしい。

一先ず、明日の早朝に詳しい検査と担当の先生の診断を受ける為、車椅子に乗せられ妻とは軽く会話をして病室まで移動した。

 

こうして、自身2度目の入院する事になる長く辛い一日が終わった。

 

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